俺達は宝じゃなかったのか?

http://www.mainichi-msn.co.jp/entertainment/game/gamenews/news/20060125org00m300113000c.html

えー、毎度毎度の「ゲーム脳」批判です。
まず導入部から。子供がゲーム脳に対する講話(?)を私語もほとんどなく、難しい話に聞き入っていたという点。これが何か怖い。小6とかならまだしも、小学校低学年が専門用語を交えて質問までするということが果たして「正しい」ことなのか?どうも「従順さ」=「良い子」という考え方にもとれてしまう。

次に「テレビゲームは15分までとし、テレビを見る時間も減らし、読書をするように」という点。まずが「1日15分なんてやったうちに入んねーよ」という尤もなツッコミはさておき、「読書」=「正義」という考えが未だ残っているというのがどうかと思う。
この教授がどう思っているかは分からないが、「読書」=「正義」という理論の根底には、「我々大人は本を読んできて育ち立派な人間になった。今の子供はゲームばかりしているからダメで、もっと本を読めば我々のように立派な人間になれる」というアナクロ的考えが未だ大勢を占めているのではないか。*1
では、具体的にどんな「読書」をすれば「立派な大人」になれるのだろうか?恐らく多くの大人がこう言うだろう。「名作小説は必ず情操教育に役立つ」と。私はこの考えがどうもおかしく思えてならない。
例えば私は夏目漱石の「こころ」が好きなのだが、それは「先生」が死に追いやられるまでの鬱屈感というか、それがたまらなく好きだからである。間違っても「先生は友人を裏切ったので自殺しちゃったんだよ。だから友達は大切にしようね」などという教訓を漱石が語りたかった訳ではないだろう。そもそも小説の多くが抑えきれない衝動を迸らせた、ある意味負のエネルギーから生まれたものであり、通常はそれを「芸術」として評価されているのであって、必ずしも「立派な大人」に役立つかどうかは分からない。もしかしたら「小説脳」ということだってありえるかもしれない。

『重要なのは大人が「子供は宝」という視点を持ち・・・』
まあ、ゲーム全盛期を過ごした我々は「宝」じゃなかったってことですかね。これで「ゲーム脳」が立証され、今の子供がとても「良い子、よい大人」になったら・・・、我々は「失われた10年」ならぬ「失われた世代」として蔑まれる日も近いもかもしれないですね、というウツ日記でした。

おしまい。

*1:勿論私もゲームばっかりやっていた訳だが、多少は本を読んだつもりだ。「お前は本を読まなかったからバカになったんだ」と言われれば「はい、そうです」と答えるほかないのかもしれないが・・・。