「プロセス」が大事ってこういうことなのか?

で、性懲りも無く町田女子校生殺人です。
報道で強調されているのは、
「被害者と加害者に交際は無かった」
「携帯電話のメモリーに電話番号の登録や通話の記録は無かった*1
「一方的な片思いであり、勘違いだった」

「勘違いから生まれる恋もある」とか抜かしているのはドラマの中だけです。それはいいとして、これが付き合っていたのに殺害に至った場合だったら、このような大きな事件になり得たでしょうか。
殺人という「結果」は疑うべくも無い罪であります。しかしながら、そこに至るまでの「プロセス」だけを切り離して考えたとき、ストーカー的行為などは確かに問題ですが、どうも「好きでもないのに一方的に好意を寄せ、勘違いをしていた」という部分までが罪として扱われているような気がしてなりません。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051114-00000031-san-soci

こちらの記事では、「試験頑張れ」とか、合唱コンクールの際に「頑張ろう」と言われて気になる存在になったとありますが、ここまで見ると特に不自然な点は見当たりません。中学生の時点でこのような言葉をかけるということは、社交辞令と言えばそれまでかもしれませんが、少なくとも嫌われてはいなかったと思われます。
しかし、加害少年の不幸(敢えて不幸と書きます。この時点では悪意のある意図的な行為ではないと考えますので)は、被害少女以外の選択肢を失ってしまったということと、残念ながら(失礼とは承知の上で)異性を惹きつけるだけの力が不足していたということです。では、この不幸のうちのどちらか一方が殺人という「結果」に至る原因と言えるでしょうか。勿論はっきりとそう言う論調はありませんが、「一方的行為」「勘違い」が強調されている報道を見ると、どうもこのあたりを原因としているフシが見受けられる気がしてなりません。
私は殺人という「結果」に対して一切の擁護はしませんが、「プロセス」の初期段階に対しては同情すべき点があります。

モテないとか、人気が無いとか、それが生物学的であれ、世間的であれ、「敗者」であることは甘んじて(当然といってもいいでしょう)受けます。しかし、けっしてそれが法的・道徳的に「悪」ではない*2ということは分かって頂きたい。
これははっきり言いましてモテないやつの僻みであります。

*1:電話帳に曹操孟徳とか入っているのはもっとまずいですかね。そうですよね。職業魏王とか入れちゃってますから。詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/admire-don/20050727#p1参照

*2:生物学的には悪ですが