「こころ」はCのバイブル

今週は仕事でテンパり過ぎて日記をロクに書けずすいません。で、表題の件ですが*1、久々に夏目漱石著「こころ」をチラリと読んでみたんです。私はあまり文豪系の本は読まないのですが、「こころ」は大好きです。
まあ一応読んだ事の無い方へ、すぐ下で究極のネタばらしをしますのでご承知おきを。















まあ、こんなもんですか。
読んだ方は勿論お分かりでしょうが、先生は主人公への手紙の中で、かつて親友Kを裏切って下宿先の娘と結婚(婚約か)し、結果的にKを死に追いやってしまったことを終生思い悩み続け、そして最後には最愛の妻(作中では「さい」と読みますが)を残し、自らKと同じく死を選ぶということを示唆する内容を書き残します。というか話の流れからして先生は自殺してしまいます。
先生は純粋で誠実な性格でありながら、「頭がただ恋の一字で支配され*2」異性を愛する本能に抗うことが出来ず、親友を裏切るという「心の闇」を生み出してKを死に追いやり、そして最後には自らもその闇に覆われてしまいます。
でも、どうですか?先生は「成功者」なのです。下宿先のお嬢さん*3を妻とし、妻を愛し、妻に愛されて晩年を迎えることが出来たのです。ただ、その成功と引き換えに「心の闇」に苛まれてしまうのですが、これは心が純粋で誠実な先生だからこそなのです。Aヤンキーのようなモテることをステータスと感じている人間には到底理解できないでしょう。この程度の「裏切り」で死んでいたら、世の中Aヤンはみんな死に絶えてしまいますね。
結局、Kの自殺の原因が先生の裏切りと断定できるわけではありませんが、仮にそうだとして、Kの絶望、そして同じ道を辿る先生の後悔が、私には単なる死への悲しみではなく、純粋であるがゆえの悲しみとして深く心に刻まれます。

最早、私にはこのような心の闇に苛まれる心配はないでしょう。「頭がただ恋の一字で支配され」ることもなくなりました。そんな私からは、例え最後に「死」が待っていたとしても、親友を死に追いやったとしても*4、それでも一つの愛を成就できるのであれば、これほど羨ましいことは無いと思えるのです。

え、Aは何を読めって?ま、とりあえず三代目魚武でも読んでて下さい、といつも彼の著書のタイトルを見ては嫌な気持ちになる私がお送りいたしました。以上です、編集長*5

*1:ちょっと会社っぽい文章になってる

*2:作中より

*3:私の脳内では、品があって歳を取っても美しさを失わない美人

*4:まあ私が女性を出し抜くということは決してありえませんので、関係各所の方はご安心下さい

*5:編集長が誰なのかは未だ不明