ABC理論 第14回「Cの恋愛は存在すら許されないの?」

全然関係ないですが、さっきまでハチミツ と クローバー見てました。「作中にスピッツの曲が流れる*1という動機で数回前から見ているんですが、最近は自己嫌悪確認のために見ているような気もします。美大で(多分)美男美女なのに全員片思いという設定からして落ち込み加減です。
別に見ていて嫌な気分がするとか、つまんないとかいう訳じゃないんですよ。ただ、恐らくは大勢を占めるのは「あぁ、こんな恋愛がしたかった」という気持ちと現実との「比較論」な訳で、私めのような「空想論」は少数派だと思うとねぇ*2・・・。

まあ、ドラマにせよ小説にしろマンガにしろ、世の中は「比較論」がマジョリティであって、作り手側もそれを意識している部分はある。逆に「空想論」ありきなのはギャルゲー的アニメやゲーム*3である。勿論経験値0の人が「比較論」的なものを見てはいけないという決まりはないし、ドラマの設定など*4は多分に「空想論」が含まれている訳ですけれども、「恋愛」ということを軸とすればそういう分かれ方になってしまう気がするんですよね。

で、本題です。これは中学の頃の話なんですけど、たまに、普段は全然しゃべらない人と喋らなきゃいけないときがありますね。例えば出席番号などの無機的手段でグループ分けされた班や、持ち回りの委員会とか。これは委員会での話なんですが、集まったメンバーで恋愛のことを話し始めた訳です*5。最初はその中の一人が他校の生徒と付き合っていたのに別れたという話で、次第に「好きな気持ちを持続するにはどうすればいいの?」つー話になったんです。こちらもそんな経験は勿論無いし、かといって「気持ちが無くなった時が愛の終わりなんだよ。それでいいじゃないか」みたいな経験裏打ちゼロの発言をするともりもありません。正直ちょっと鬱な気持ちでした。「ああ、そのうちこいつらは俺に対して『○○くんはどう思う』ってこれ見よがしの蔑みを加えてくるんだろう」って。
でも、そんな心配ありませんでした。別に話から疎外されているわけでもなく、一見普通に会話できているんですが、私に振られる話は、話題から外れない程度に恋愛要素がサビ抜きされているんです。こちらも皆様のご期待に沿って話を繋げるような努力はしましたけど、このとき「あ、俺って恋愛語る資格無いんだな」と・・・。別に語りたいわけでもなく、むしろ気遣いしてくれてありがたい位なのに・・・。

まあ本来、ABCと恋愛は直接関係無いというのがポリシーだったんですけどね、でも共学である以上、ここは避けては通れない部分なんですよね。ハァ、恋愛などと語る資格も無いはずの私が語り始めるとは・・・。やはりSW会後、どうも私も変わってきてしまったようです。とにかく気分のバイオリズム*6京都競馬場の第3コーナー過ぎから第4コーナーにかけてのカーブ並に下り坂です。ゆっくり下らなければいけません。

続く。

*1:スガシカオのときもある

*2:このアニメを欠かさず毎回見ている人限定なら少数派じゃないかもしれないが

*3:言葉が二重ですいません

*4:主人公がアイスホッケー選手だとかレーサーだとか断食ご一行様(愛情イッポンでも可)だとか

*5:人数が4〜5人のため話さざるを得ない

*6:死語