モテへの意欲がなくなっていく・・・

先日のrebublic1963氏大送別会に参加したときにはそうでもなかったけど、今日ぐらいになって自分ヤバいなぁと思ったことについて。

そもそも非モテになる要素って、

1.モテない(異性と付き合っていない、セックスしていないという状況)を自覚
 (もしくは、過去に上記のような状況であったことを自覚)

ということのほかに、当たり前ですがもう一つ大前提があります。

2.異性と付き合いたい、セックスしたい

つまり、「持たざる『状況』」と「目的への『意欲』」があって非モテは成り立っているわけです。

非モテとは、いつかはモテとまではいかなくとも、彼女ができてセックスしたいという目標をみつつも、現在おかれている自らの状況や、いわゆる「モテ」への反発をネタ(とかいうと真剣に語っている人に怒られそうだけど、自分はブログで吐き出す程度のネタと思っているので)にするのが基本なんですよね、多分。

多分って自信がないのは、最近「彼女ができてセックスしたい」という目標について忘れかけているのではないかという疑念にかられたからです。

「あれ、彼女ができると楽しいかな?」
「『ああっ、セックスしたい』って今思ってないなぁ」

この疑念が思い浮かぶたびに、私は「マズロー欲求段階説」を思い出します。

皆さんご存知かと思いますが、マズロー欲求段階説とは、人間の欲求を5段階に分けて、下のレベルの欲求が満たされると、その一つ上の欲求を満たそうとするみたいな考えかたです。私が最初に勤めた某エンターテインメント業種の会社に入ったとき、さんざん聞かされた内容なんですが。

欲求の段階は、レベルが下のほうから順に、

  1. 生理的欲求・・・食欲、性欲、睡眠欲、排泄欲etc・・・
  2. 安全の欲求・・・「命の危険なく安心して暮らしたいよー」
  3. 所属と愛の欲求・・・「彼女欲しい」「友達欲しい」とか
  4. 承認の欲求・・・「私を見て!」「 俺ってすごいだろ!」とか
  5. 自己実現の欲求 ・・・自己啓発本のタイトルあてはめればOK

適当ですいません。

これに当てはめると、「彼女が欲しい」=愛の欲求(レベル3)で、「セックスしたい」=生理的欲求(レベル1)になります。

「レベル1の目的達成すんのにレベル3の欲求を満たさないといけないんじゃ、おかしんじゃねぇ、マズっちさぁ」というのはおいといて・・・。


私は「彼女が欲しい」「セックスしたい」という欲求が、本来あるべき姿ではなくなっているなぁと感じるんです。

つまり、「『彼女がいる』『セックスした人(=脱童貞)』というグループに入りたい」=同じレベル3でも「所属の欲求」とか、「彼女がいる(この年になると「結婚している」というふうになるけど)という俺を認めて欲しい」=承認の欲求(レベル4)という意識に変わりつつあるのではないかということです。

彼女がいないことが辛いとか、セックスできないで性欲が満たされないということよりも、20代後半にもなって同年代の大多数が達しているレベルにいまだ辿り着いていないという「恥ずかしさ」「疎外感」みたいなものが非モテ思考を生むパワーになっていることに・・・もう何年も前に気づいてはいました。

http://d.hatena.ne.jp/admire-don/20061023#p2
■[ABC]童貞三重苦の巻

ハハ、俺3年間で何にも進歩してないや・・・。


で、最近思うのは、「彼女」「セックス」*1という本来の欲求から乖離してしまったことによって、目標へ到達しようとする意欲が薄れている気がするんですよ。

送別会の中で、「やっぱりモテたいよ」という若年層メンバーからの意見が聞かれましたが、ふと今気がついて「あれ、俺は最近そんなこと思ってなかったなぁ」と。

もはや「彼女いるグループに入りたい」「脱童貞したい」という変節した意欲すら薄れようとしているのです。別に萌えに走って二次元女に夢中になっているわけでもないし、風俗通いで性欲を満たしているわけでもなく(性欲がなくなったって訳ではないけど)、単に生活の中からそういう欲求が消えようとしているんですよ。


別に非モテに警鐘と鳴らすとかいう大義はないんですけど、果たしてこんな私が非モテを語る資格があるのだろうか?という疑問が・・・今あります。


どうせ一般人に話しても「じゃあまず彼女つくろうよ」っていういつものありがたいお言葉を頂くだけなので、ここに書いてみました。


おしまい。

*1:書くのの面倒だから略した