マラソンという危険な宗教

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090323-00000009-oric-ent

「一時意識消失の松村邦洋、急性心筋梗塞による心室細動が原因だった」


このニュースは本当にショックでした。一歩間違えれば、我々は日本の至宝を失うところだったのです。これは冗談とか、そういう意味で言っているのではありません。

私は、松村邦洋(敬称略します)が日本の物まねタレントの頂点であると思っています。彼は天才です。その彼が命の危機に瀕したのです。


今回の件に関して、いろいろな意見があると思います。

「あの体型でマラソンをすること自体に無理がある。自業自得だ」

「テレビ局を中心としたマスコミが半ば強引にやらせたのではないか?」


まず、彼の体型について。

確かに、マラソンのような長距離走において、肥満であることが優位に働くことはないでしょう。肥満でなくとも、体重が重いということ自体、長距離走には不利です。馬だって、一般的にステイヤーのほうが体重が軽く、スプリンターのほうが体重は重いのですから。


しかし、彼は以前にマラソンを完走したこともあったそうです。無謀な挑戦ということではなかったと思います。


私は、太っているからどうこうというよりも、マラソン自体に生命の危険が潜んでいるということを知るべきではないかと思うのです。
(勿論、肥満によってリスクが高まることは否めないと思いますが)

世のなか、ジョギングで死んでしまう人もいるのですから、まして一般生活ではまず経験し得ない距離を走り(あるいは歩き)続けることが、心肺機能に与える影響は計り知れません。


そして、マスコミとマラソンの関係について。


今回の東京マラソンは、とくに芸能人ランナーの露出が目立ちました。なかには、マラソンで何時間以内に走らなければ丸坊主とか、完走しなければ離婚するとかいう話もあったようですが、私は前述の「生命の危険」という意見もふまえて、芸能人にとってこれほど危険な仕事はないのではないかと思うのです。


テレビ番組では、世に言うリアクション芸人が「やらされる」ような危険な行為がよく放映されます。実際に撮影中に怪我をすることもあれば、「ウッチャンナンチャンやるならやらねば」で起こった事故のように、最悪の事態になったケースもあります。

でも、それはあくまで事故であり、本当に怪我をさせようとしてやっているわけではありません。実際、お笑いウルトラクイズで、ビートたけしが最も気を遣っていたのは、出演者に怪我をさせないことだったといいます。


しかし、マラソンは「記録」や「完走」という目標(ノルマ)が走者自身を追い詰めてしまうのです。もちろん、走らせる側も健康管理や走行中の状態を見るなど、細心の注意を払っているでしょう。それでも今回のようなことが起こってしまうのです。


私が最も危険視しているのは、マラソン自己啓発のようなメソッドが成立してしまっていることです。これは芸能人に限ったことではありません。

「マラソンを完走すると別世界が見える」

「走りきったことで自分の限界を超えた気がする」

こう言っている人を多く見かけます。私は最長でもせいぜい5キロ位しか走ったことがないので、それについて真偽をとやかく言う資格はありませんが、果たして自分の「命の限界」を知る必要はあるのでしょうか?


確かに、マラソンを完走したことで人生観が変わった人もいるかもしれません。しかし、マラソンという身体機能、もっと言えば生命維持機能にかかわるような体力的な問題が、人生観とか、自己啓発とか、そういう精神的な問題にすりかわってしまうことが非常に危険なことだと思うのです。いくら精神が崇高なものになったとしても、死んでしまえば意味がないのです。肉体的な問題よりも精神的な問題を優先させるというのは、宗教に近い考え方ではないでしょうか?


今回は極端に書きましたが、マラソンというスポーツを安易に考えてはいけないということを、今回の件は深く物語っていると思います。